MANABI MAP · PHILOSOPHY SERIES 01

言葉の網と、
網の外の顔

ソシュールとレヴィナス

言葉は「ちがい」の網でできている。
けれど、目の前の人は、どんな網にもおさまらない。
二人の人生をたどりながら、その思想を、ひとつずつ学ぶ。

Podcast 全10話 / 各話約10分

Introduction

なぜ、この二人なのか

辞書で「ことば」を引くと「言語」、「言語」を引くと「ことば」。言葉は、言葉でしか説明できません。スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュールは、そこから、言葉の意味は「ほかの言葉とのちがい」の中で決まる、という見方にたどり着きました。この考えは、20世紀の構造主義を生み、人間を「体系の中の位置」として読む流れを作ります。

同じ20世紀、戦争と収容所を生きのびた哲学者エマニュエル・レヴィナスは、正反対の方向から問いました。すべてを1つの全体に収める考え方は、目の前のひとりを、部品にしてしまわないか。どんな体系にも収まりきらない「他者の顔」がある、と。

このシリーズは、二人を対立させるためではなく、つなぐために並べています。網としての言葉と、呼びかけとしての言葉。その両方が、私たちの毎日の会話の中にあります。

Axis

シリーズを貫く軸

言葉の網(ソシュール)

  • 記号は、音の型と意味の型の結びつき
  • 意味は、となりの言葉とのちがいで決まる
  • 言語学の対象は、社会が共有する体系(ラング)
  • のちに構造主義へ
言葉

網の外の顔(レヴィナス)

  • 他者は、わたしの理解からあふれ出る(無限)
  • 顔は「殺してはならない」と語りかける
  • 責任は、つり合わない(非対称)
  • 言葉には、中身の手前に「語ること」がある

Central Question

言葉は、ちがいの網なのか。
それとも、だれかからだれかへの呼びかけなのか。

Timeline

二人の人生

ソシュール(1857–1913)

  1. 1857ジュネーブの学者一家に生まれる
  2. 187215歳ごろ、家の友人ピクテに言語の論文を見せる
  3. 187821歳、『印欧諸語における母音の原初体系についての覚え書』
  4. 1881–91パリ高等研究院で教える(教え子にメイエ)
  5. 1891ジュネーブ大学へ。以後ほとんど本を出さなくなる
  6. 1894メイエへの手紙「言語学者が何をしているのかを示す必要がある」
  7. 1907–11一般言語学の講義を3回
  8. 1913死去(55歳)
  9. 1916バイイとセシュエが学生のノートから『一般言語学講義』を編集
  10. 1927クリウォヴィチ、ヒッタイト語で「見えない音」を裏づけ
  11. 1996ジュネーブの屋敷の温室から草稿が見つかる(2002年刊行)

レヴィナス(1906–1995)

  1. 1906リトアニアのカウナスに生まれる
  2. 1923フランスのストラスブール大学へ。ブランショと出会う
  3. 1928–29フライブルクでフッサールとハイデガーに学ぶ。ダヴォス討論
  4. 1930フッサール現象学の本をフランス語で刊行
  5. 1934「ヒトラー主義の哲学に関する若干の考察」
  6. 1940フランス軍の通訳として捕虜に。犬のボビー
  7. 1947『実存から実存者へ』(イリヤ・不眠)
  8. 1961『全体性と無限』(顔の倫理)
  9. 1964デリダ「暴力と形而上学」
  10. 1974『存在するとは別の仕方で』(語ることと語られたこと)
  11. 1982対談『倫理と無限』
  12. 1995パリで死去(89歳)。デリダが弔辞「アデュー」

Episodes

全10話の学びの地図

第一章 ソシュール「意味は、どこにあるのか」第1〜5話 / ジュネーブの湖の青灰色
第1話 #Ph1-1

21歳の天才は、なぜ本を書けなくなったのか

問い:言語学者は、何を研究しているのか

19世紀の比較言語学で頂点に立った21歳のソシュールが、なぜ書けなくなったのか。「同じ言葉」を決めているものは何か、という土台の問いを立てる回。

  • ジュネーブの学者一家と、少年ソシュールが夢中になった比較言語学
  • 21歳の『覚え書』と、1927年にヒッタイト語で裏づけられた「見えない音」の予言
  • 1894年、メイエへの手紙「言語学者が何をしているのかを示す必要がある」
  • 高い声・低い声・ささやき声の「ねこ」は、なぜ同じ言葉なのか

そこが不思議なところだね。わからないまま、通じている。

── おじいさん(第1話)
比較言語学見えない音の予言言語学者は何をしているのか
第2話 #Ph1-2

言葉は、ものに貼るラベルではない

問い:言葉は、ものの名前の一覧なのか

「名前の一覧(ノメンクラチュール)」という見方を退け、記号を音の型(シニフィアン)と意味の型(シニフィエ)の結びつきとして捉える。恣意性の正確な意味を押さえる。

  • 言語を「名前の一覧」と見る考え方の、3つの無理
  • シニフィアン(音の型)とシニフィエ(意味の型)、紙の表と裏
  • 恣意性:理由はないのに、ひとりでは変えられない
  • わんわんとバウワウ、数字の19、音が1列に並ぶ「線状性」

ためしてみるといい。たぶん、だれにも通じない。ハルひとりが変えようとしても、言葉はびくともしない。理由はないのに、勝手には変えられない。そこが面白いところなんだ。

── おじいさん(第2話)
シニフィアンとシニフィエ恣意性名前の一覧ではない
第3話 #Ph1-3

言語には、ちがいしかない

問い:言葉の意味は、どこで決まるのか

「言語には、ちがいしかない」。価値・差異・体系という、ソシュールの核心を、水とお湯、ムトンとシープ、チェス、急行列車で理解する。第1話の問いに答えが出る回。

  • 言葉がなければ、考えも音も形のない雲と流れ
  • 価値:フランス語のムトンと、英語のシープ/マトン
  • LとR、高い声と低い声の「ねこ」。大事なのは、ほかとまちがえないこと
  • チェスの駒と急行列車:材料の同じではなく、位置の同じ

そうか!大事なのは、音そのものじゃなくて、ほかの言葉とまちがえないこと、なんだ。

── ハル(第3話)
価値差異体系
第4話 #Ph1-4

ことばの学問は、何を調べればいいのか

問い:言語学は、何を対象にすればよいのか

ランガージュ・ラング・パロールの区別と、共時態・通時態の区別。言語学の対象を「ある時点の、社会が共有する、ちがいの体系」と定める。ラボフらの批判も確認する。

  • 話す人は語源を知らなくても言葉を使える(ありがとう)
  • 共時態と通時態:植物の茎の横の切り口と縦の切り口
  • ラング(楽譜)とパロール(演奏)、変化の種はパロールにある
  • 後日談:ラボフの調査と、果たされなかった「パロールの言語学」

僕たちの、やばい、が、楽譜のほうを書きかえていくんだ。なんか、すごいことしてる気がしてきた。

── ハル(第4話)
ラングとパロール共時態と通時態盤面
第5話 #Ph1-5

本人が書かなかった本が、20世紀を変えた

問い:ソシュールの本は、だれが書いたのか

『一般言語学講義』の成り立ち、温室の草稿、アナグラム研究。構造主義への広がりと、「体系の中で、話す私はどこにいるのか」という問いからレヴィナスへ橋を架ける。

  • 1916年、学生のノートから編まれた『一般言語学講義』
  • 有名な最後の一文は、編集者の書き足しだった
  • 1996年、温室から出てきた草稿と、アナグラム研究
  • ヤコブソン、レヴィ=ストロース、構造主義。そして「砂に描いた顔」

ただ、ここで1つ、大きな問いが生まれる。もし、言葉の意味が、すべて体系の中のちがいで決まるなら、話している、わたし、は、どこにいるんだろう。

── おじいさん(第5話)
『講義』の成り立ち構造主義体系と主体
第二章 レヴィナス「他者は、どこから来るのか」第6〜10話 / 冬の灯りのろうそく色
第6話 #Ph1-6

リトアニアの少年は、どうやって現象学に出会ったのか

問い:物の見え方を、哲学できるのか

レヴィナスの生い立ちと、フッサールの現象学(事象そのものへ・志向性)、ハイデガーとの出会いと1933年の衝撃。存在を理解する哲学への違和感の芽。

  • カウナスの本屋の子と、ロシア文学とヘブライ語聖書
  • 現象学と志向性:見えないカップの裏側も、見え方に含まれている
  • フライブルクのフッサールとハイデガー、ダヴォス討論
  • 1933年のハイデガーと、1934年「ヒトラー主義の哲学」

見えていない裏側も、ただの想像ではなく、見え方そのものの中に、もう含まれている。だからこそ、カップを回したとき、裏側が出てきても、驚かないんだ。

── おじいさん(第6話)
現象学志向性存在への違和感
第7話 #Ph1-7

収容所で、人間あつかいしてくれたのは犬だった

問い:眠れない夜のこわさは、どこから来るのか

捕虜生活と犬のボビー。『実存から実存者へ』の「イリヤ(ある)」、不眠、場所を持つことで「わたし」が立ち上がる実存者の誕生。

  • 1940年の捕虜生活と、ユダヤ人捕虜の作業班
  • 犬のボビー、「ナチス・ドイツで最後のカント主義者」
  • イリヤ:だれも何もないのに、ただ「ある」ことのざわめき
  • 不眠と実存者:場所を持ち、身をあずけて「わたし」が立ち上がる

さっき僕、おばけを想像するからこわいって言ったけど、ちがったんだね。何かがいるからじゃなくて、何もないのに、ある、ということ自体が、こわかったんだ。

── ハル(第7話)
イリヤ不眠実存者
第8話 #Ph1-8

顔は「殺すな」と言っている

問い:顔は、何を語りかけているのか

『全体性と無限』。全体性と無限、同と他、そして顔。顔は表情や情報ではなく、無防備なまま「殺してはならない」と語りかけてくるもの。

  • 全体性:すべてを1つの全体にまとめ、人を部品にする考え方
  • 同と他:知ることは「つかむ」こと、つかみきれない他者
  • 無限:入れ物より中身が大きい、デカルトの考えを借りて
  • 顔は表情ではない。背中やうなじにも顔はある

そのとおり。レヴィナスも、それを知りすぎるほど知っていた。顔は、力で殺すことを止めるのではない。殺すことはできる。でも、殺してはならない、と語りかけてくる。止めているのは、力ではなく、倫理なんだ。

── おじいさん(第8話)
全体性と無限同と他顔
第9話 #Ph1-9

「お先にどうぞ」の哲学

問い:責任は、おたがいさまなのか

非対称の責任、身代わり、ヒネニ(ここにいます)。そして第三者が現れるとき、くらべられないものをくらべる正義が必要になる。

  • 非対称の責任:相手がどうするかは、相手の問題
  • ドストエフスキー「そして、わたしはほかのだれよりも」
  • 身代わりと「ヒネニ(ここにいます)」
  • 第三者と正義:くらべられない顔を、くらべなければならない

網は必要。でも、網の前に、顔がある。順番が大事なんだね。

── ハル(第9話)
非対称の責任身代わり第三者と正義
第10話 #Ph1-10

語られたことと、語ること

問い:言葉は、何を届けているのか

デリダの批判と『存在するとは別の仕方で』。語られたこと(中身・体系)と語ること(呼びかけ・応答)。ソシュールとレヴィナスをつなぐ最終回。

  • デリダ「暴力と形而上学」:網の外を、網の言葉で語る矛盾
  • 語られたこと(中身)と、語ること(だれかへ差し出す出来事)
  • 言いなおし:網の中で、網をほどき直し続ける
  • ソシュールとレヴィナスをつなぐ。そしてAIに「顔」はあるのか

網がないと、意味が届かない。語りかけがないと、だれにも届かない。どっちも、なくちゃいけないんだね。

── ハル(第10話)
語られたことと語ること言いなおし応答

Glossary

キーワード集

シニフィアン/シニフィエ signifiant / signifié
記号の2つの面。頭の中の「音の型」と「意味の型」。紙の表と裏のように切り離せない。
恣意性 arbitraire
音の型と意味の型のあいだに自然な理由がないこと。ただし、ひとりが勝手に変えることはできない。
価値・差異 valeur / différence
言葉の意味は、それ自体ではなく、となりの言葉とのちがいで決まる。「言語には、ちがいしかない」。
ラング/パロール langue / parole
社会が共有する言葉の体系(楽譜)と、ひとりひとりの一回きりの発話(演奏)。
共時態/通時態 synchronie / diachronie
ある時点の体系を見る見方と、時間の中の変化を見る見方。チェスの盤面と手順。
現象学・志向性 phénoménologie / intentionnalité
物事が意識にどう現れるかを記述する哲学。意識はいつも「何かについての」意識である。
イリヤ il y a
だれも何もないのに、ただ「ある」ことがざわめき続ける状態。不眠の夜に最もよく味わわれる。
全体性と無限 totalité / infini
すべてを1つの全体にまとめて理解する考え方と、理解からあふれ出る他者のあり方。
顔 visage
表情や見た目ではなく、無防備なまま「殺してはならない」と語りかけてくる他者の現れ。
語ること/語られたこと le Dire / le Dit
だれかに向かって言葉を差し出す出来事と、その中身。レヴィナス後期の中心概念。

Questions

考えてみたい問い

  1. 辞書が言葉を言葉でしか説明できないのは、欠点でしょうか。それとも、言葉の性質そのものでしょうか。
  2. 「水」と「お湯」を分ける日本語と、分けない英語。どちらかが世界に近い、と言えるでしょうか。
  3. 意味がすべて体系の中のちがいで決まるなら、話している「わたし」はどこにいるのでしょうか。
  4. 顔を見ると言えなくなるのは、相手の反応が予想できるからでしょうか。顔が何かを求めてくるからでしょうか。
  5. 返ってこなくても応える責任と、みんなに公平であるための決まりは、どうつながっているのでしょうか。
  6. AIの言葉には、「語られたこと」だけでなく「語ること」もあるのでしょうか。

このあとに読むなら

ソシュールは、原典の『一般言語学講義』のほかに、1996年に見つかった草稿をまとめた『一般言語学著作集』で、本人の迷いに近づけます。レヴィナスは、対談『倫理と無限』が入門に向いています。

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第2部「野生の思考と、子どもの発見」では、レヴィ=ストロースとルソーを学びます。